出てこない、日本語

時折
適切な日本語を探すのに
困ることがある

それはメキシコのスペイン語で
時折出てきた言葉でもある

Castigoという単語なのだが
罰する、懲らしめるというような
訳が辞書では用意されてるのだが

これを直接日本語として
使おうとすると
適切な訳を作るのに
困るのである

言語によって
表現の方法が違う単語や
使い方があるものを
痛感させられる

昔は言語を学ぶときに
そんなことを考える余裕もなかった

中学生で英語を学んだ時は
できる、できない
覚えられる、覚えられないということが
常に先行しており

英語という言葉の奥深さや
楽しさ
文化的な背景などを
考える余裕すらなかった

スペイン語と出会ったときに
なぜかそれが一転した

言葉や単語の成り立ち
そしてその背景などが
自然と頭に入ってくるようになった

それは私が大人になったからなのか
自然とそうなったのか
そのあたりは
よくわからない

スペイン語の後に
私はフランス語を学ぶ機会を得た
フランス駐在に行くことになったからである

正確に言うと
そのちょっと前に
スペイン語とフランス語を流ちょうに使う友人を見て
フランス語もできるようになるかもしれないと
数か月だけ
学んだことがあった

数字や単語の成り立ちは
ラテン語という共通項があり
フランス語もまた
面白い言葉だと思った

それぞれにしかない、単語や概念

その成り立ちを知れば
語学というものの深さが分かる

そしてその度に
日本語も同様に
表現が深いものもあれば
まったくないものもあるのだなと
思うようになった

文化的背景を知ることは
語学と仲良くなる近道でも、ある

もしかすると
知らずして語学を身に付けることは
危険なのかもしれないとすら思う

なんでも訳してしまえば
通じると思っていては
本当の意味での通訳にはならない

単語の意味すること
どうしてそのように呼ばれるようになったのかを
理解することは
言葉の壁を超えるステップの一つなのかもしれない

さて、私の方は

今日はズッキーニという野菜の
日本語の単語が出てこず
大変苦労した

さすがにズッキーニは野菜の名前であるが
この由来もいろいろある
元はイタリア語だったと言われているが
原産国は欧州ではなく
北アメリカ、メキシコであったりするというのだから
歴史の持つ影響力を
痛感させられる

確かに日本に入ってきて
歴史が浅い方の野菜ではあるが
今ではすっかり定着した野菜の一つであろう

フランス語、スペイン語、英語
それぞれの呼び方は違えど
この野菜を愛する人たちは多く
世界へ広がっていった
この野菜の
影響力の強さを感じる

時折こうして
出てこない日本語の単語と格闘する度に
私は野菜の名前の奥深さを
痛感するのだろうと、思う

La Carrière -Mariko