多文化とか異文化を受け入れる
もしくは
理解し合うということ
ダイバーシティ、多様性と
うたわれて久しいが
日本の政治を見ながら
どこが多様なんだろうかと
ふと思う
多文化とか異文化は
海外のことを
指しているのだと
思っているのであれば
それは間違いである
実は隣の人であったり
親せきでも
十分に
異文化、多文化の対象なのである
つまり
多様な生き方を認め合う社会を
作り出すということが
本当の
ダイバーシティのある世界なのだ
選挙のために
街頭に立つ人を眺めながら
この立候補者の人たちが
もっと多様な
バックグラウンドの持ち主でない限り
日本という国は
変われないし
変わらなくとも
市民生活は続いて行くのだと思う
けれど
世界では
もっと
多様で
新しい価値観で
生きられる場所があることを
私は知っている
どうか
私の生まれ育った
日本という国が
世界で戦えるような
人材を
育て上げられる国であるようにと
心から
願ってやまないとともに
私自身も
市井の一人として
できることをしようと
思うのであった
多様な生き方を容認できる
世の中になって欲しいと
心から願ってやまない
La Carrière -Mariko