ノーベル文学賞を受賞した
Jean-Marie Gustave Le Clézio(ル クレジオ)の作品に
悪魔祓いという本がある
美しさは、内面からくるのではなく
肉体のあらゆる深みからやって来る
と、彼は記す
これはパナマの密林で暮らす
インディオの女性たちのことを語っている
この文章には続きがある
インディオの美しさは
ただ、勝ち誇って
生々としてそこにある
と書いているのである
一見すると
内面からの美しさを否定し
外見のみに頼った美しさを評価しているようにも
読めるのだが
実は彼の作品は
インディオの美しさと比較すると
現代の文明は不可解であり
奇怪なものであると
批判しているのである
肉体の深みとは
体型だけのことではない
顔のしわや日焼けのあと
しみやそばかす
怪我のあとも
すべて含んだものであろう
密林で暮らすインディオ女性たちの美しさは
持って生まれた
身体を活かした美しさである
彼女たちと比べると
我々は都会の密林に暮らす
言わば
ある種の民族とも言えよう
では
私たちの活かすべき美しさとは
どのような美しさであるか
思索してみたい
日本では若く見られること
痩せていることこそが
女性の理想像の一つである
毎月発刊される
幾つもの女性誌を見れば
一目瞭然である
ダイエットや若返りメイクなど
細い体と若さを手に入れることを
訴求している雑誌が
必ず一冊はある
そして
女性たちは互いを褒め合う際に
可愛いという言葉を多用するが
美しいという言葉は
あまり口にしない
それは無意識に
美しいと思える理想が
他にあるのではと
感じているからではないだろうか
世界では
若いこと、痩せていることが
必ずしも美しいわけではない
以前
女性として美しく魅せることにも書いたが
歳を重ね
時間をかけて作ってきた
私という人そのものを
磨き続けている人こそが
美しいとされている国が多い
ありのままを受け入れ
ありのままの自分が輝いている様が
一番美しいのである
これはインディオの女性と同じである
しかし、私たちの密林は
ジャングルの木々の代わりに
たくさんの情報があふれている
あふれ出る情報の密林から
生き残るためには
肉体だけの美しさではなく
新しい美しさが必要である
そのため
都会の民たちは
生まれたままの姿であることを捨て
洋服をまとい
靴や化粧で自分を着飾る
都会の密林では
持って生まれた美しさだけでは
生き残れないのである
ル クレジオは現代文明を批判的に捉えている
その観点から
先ほどの文章を再度読み解くと
インディオ女性たちは
内面から出てくる美しさがなくとも美しい
と言っているようにも捉えられる
つまり
現代文明に生きる私たちは
内面からにじみ出る美しさがなければ美しくない
とも読めるのである
若くいること
細身であることが
美しくあることではない
重ねてきた年月が目に見え
持って生まれた
身体を活かした美しさにこだわり
内面からにじみ出る美しさにこだわる
それが
これからの時代
世界標準のあるべき美しさではないだろうか
日本人の女性と
世界の女性の美意識の違いは
画一化された美しさを信じるか
それとも
自分だけの美しさを作り上げるか
そんなところにあるのではないだろうか
La Carrière -Mariko