授業で挙手をする行為から考える

先日出会った高校生たちは
親の都合であったり
教育水準の都合であったり
背景はさまざまだが
英語の方が得意な生徒もいて

これから
世界を相手にするために
充分に準備が
備わりつつある子どもたちが
たくさん、いた

ただ
彼らに意見を聞いてみると
何もありません、とか
考え中です、とか
そんな答えが返ってきた

みんな
答えを探しに行ってない?
思ってること
感じてること
それで良いんだよ


気持ちを言うように促す

私が関わっている
プログラムは
アメリカ生まれで
世界各国に展開されているものであり

アジアパシフィック地域の中に
日本の団体も所属している

アジアの大会や
世界の大会もあり
生徒たちが世界で
どのように活躍するのかを
垣間見ることができたりもする

アメリカの生徒たちは
答えが出る前に
挙手をして
それから考える

マレーシアの子どもたちは
両手を挙げて
自己アピールする

日本の子どもたちは
答えが出ない限り
手を挙げない

世界では
場を読む
空気を読む
ということが
必ずしも必要ではないことを

若い時から
知っているのと
知らないのでは
その後の人生は
大きく変わる

授業で発言をするという
たったそれだけの行為にも
文化の違いや
習慣の差が見て取れるものなのである

異文化の中で
生き抜く力を
若い人たちにも
付けてもらいたいと
痛感する出来事であった

答えを探すのではなく
考えたことを言葉にする

そんな能力が
世界の人たちと
働く上では
重宝される

考えることをやめないこと

未来の世界で活躍するであろう
一人一人に
そんなことをアドバイスできたらと
思う

La Carrière -Mariko