街を、休む

パリジャンは
京都が好きだと耳にする

確かに
京都には
数少ない
在日のための
フレンチスクールがある

フレンチスクールと言っても
フランス語を学ぶ場所ではなく
在日フランス人の子供のための
学校である

彼らとの
交流で
分かったことがある

それは歴史がある街であること
街そのものが芸術でもあること
食に対して敏感であること
文化を大事にするところ

こうしたところが
パリと京都の
共通項であるということである

なるほど、と思う

当たり前のように
存在する
日本ならではの歴史的建造物
そしてそれらが作り出す街並み

場所は違えど
その背景にある
人々の思想は
同じなのである

COVID禍で
人がいつもよりも少なく
外国人も
めっきり見かけなくなった

昔から
私がよく知っている
京都の姿に
戻ったかのようにも
感じる

パリに住んでいる時にも
同じように思ったことがある

それは8月のバカンス中である

世界各国から
パリに人がやってくる一方で
有名レストランや
店舗の一部は
バカンスということで
何のためらいもなく店を閉める

そして人通りが少なくなった
界隈を歩くと
なぜだか
ほっとするような
昔来たことがあるような
そんな気持ちになるのである

きっと

京都も
パリの人々のように
そうすべきだったのかもしれないと
ふと、思う

今でこそ
COVID禍という状況だからこそ
なぜだか
この人の少なさと
静けさと

有名なレストランや店舗の
堂々たる店構えの後ろにある
彼らの心意気的なものを
感じられるが

パリのように
本当に
そこに住み、そこで生きることを
楽しむということに
焦点が当たっていなかったのが
私たち
日本人なのだろう

パリジャンが愛してくれる
京都いう街の魅力を
維持できるように

京都の街も
休み方を考えなくては
ならないのではないだろうか

お金だけで
世界が動いているわけではない

そこには
働く人がいて
土地の人々のパワーや
エネルギーが
存在している

そうしたものを
高い次元で保つためにも

街が街として
休みを取ることも
許されるのではないか

などと思いながら
鴨川沿いのカフェから
街行く人を眺める午後であった

La Carrière -Mariko