続、告白

最初に訪れた病院で
当時、40歳の私は
体外受精一択であると
医者から言われた時

本当に私はこの治療に
耐えられるのだろうか、と
不安の塊であった

さらに
会社の人に
不妊治療をすると
堂々と言うのは
気が引けた

女性、男性共に
不妊治療を受けていることを
会社に言わない方が良いという考え方に
賛成する人の方が多いのではないかと思う

不妊治療を経験した友人も
皆、口をそろえて同じことを
言っていた

メキシコに住む日本人の友人が
こちらで不妊治療をしていたが
彼女もまた
同じ意見であった

確かに始めてみて分かったのだが
本当に
時間のコントロールが難しい

自分の意思ではなく
卵子の成長具合で
すべてが決まってしまうのだ

しかも不妊治療は病気ではないからと
理解を得るのが難しい

それは世界共通のことでもある

アルゼンチンの同僚女性も
長年の不妊治療の末に
子どもを授かったことを
お酒の席で教えてくれた

不妊治療に
理解ある人に恵まれるのは
運が良いことなのだと
この時思い知った

彼女も時間の工面に苦労をしていた

幸いにも私の場合は
出張や外出が多かったので
うまく理由を探しては
上手に病院に通い始めた

午前中の会議に出られないこと

それが最初に感じた
一番の苦痛であった

出張のスケジュールを
直前まで決められないこと

それがさらにストレスであった

職場の中で
私が不妊治療を始めたことを
知っている人は
誰一人いなかった

でもそれでも
私は戦わなければと思っていた

これは自分との闘いだと
そう、思っていた

私はとても孤独であった

誰にも言えない
でも
前に進まなければならなかった

最初の関門は
自己注射であった

これは不妊治療をされている方なら
経験されている方が多い

問題はメキシコは
自分で注射を打つことが
当たり前であること、である

スーパーに注射器も針も
普通に売られており
(薬コーナーではあるが)
薬局で薬を買うと
注射セットが中に入った薬を
出されることも多い

医療が発達していない田舎の小さな町では
近所のなんとかさんが注射が上手いとか
評判があるような人もいるらしい

余談だが
大抵の注射は
筋肉注射になっており
鏡を見ながら
ヒップに自分で打つ

そんな状況の国で
医者からの説明は
この薬と液体を混ぜてお腹に打てばいいからね
ヒップより簡単でいいでしょう、と
という
実に簡単なものであった

焦った私は
日本では注射は医療行為なので
自分でやったことありません、と申告し
結局
看護婦に講習会をしてもらい
あまった生理食塩水で
何度も練習をさせてもらった

おかげで今では
私は注射を打つのが
得意になってしまった
(日本では役に立たない能力ではあるが)

しかしながら
この薬が身体に与える影響は
計り知れず、であった

出張三昧の生活と
病院通いの生活
水曜は朝6時からのレッスン

正直、苦しかった
だけど
苦しいと言う一言が
私は言葉にすることができないでいた

職場の人に正直に言えない事実
しかも
病院通いのことは当然ながら
ハイヒールのコーチを目指そうとしていることも
副業禁止のルールの観点から
秘密にしていたこともあり

何をどう、誰に表現していいのかが
私の中で分からなくなっていた

一度だけではあるが
ASAMIさんから
今日はレッスンをお休みしましょうと
Skype越しに言われたことがあった

ASAMIさんは
私がやると決めたことをやらないことが
大嫌いなことを知っている人でもある

その日は

ASAMIさんから
頑張っているだけでは
身体が持ちませんよと
愛あるアドバイスをもらった日でも
あったと
後になって、わかる

在宅勤務をしていると
こんなにも体が楽なのだなというのを
痛感している

出張がない生活
外出が減った生活

人に会えないことはつらいが
自分がいかに自分の身体を酷使していたのかを
今の私だからこそ
思い知ることができたのだと思う

ハイヒールに対して
本気で取り組んできたと
思っていたのだが

多分
意地と根性だけで
取り組んでも
何の効果がなかったのだろうと
今日の私なら、言える

苦しい時に
苦しいと言えない私の
弱さでもあり
強さでもあるところを
再確認する日々であった

ハイヒールを履いて
ASAMIさんの前に立つ時くらいは
普通の女性でいたい

そんな気持ちが
私をレッスンへ向かわせていた

当時
レッスンがあって良かったと
今さらながら、思う

体調も整わず
お化粧もおしゃれもできない職場で
どこで
私は
自分を表現するべきなのか
さまよっていたと思う

ある意味
ハイヒールが
心のよりどころであった

かろうじて
ハイヒールを履いている自分を見ることで
なんとか
私は私であると
認められていたような
長い、長い、時間であった

La Carrière -Mariko