住んでいる国に愛された理由

後任がビザの面接に行き
無事に就労許可が下りたのだが
なんと
ビザの証書に間違いが見つかった

このニュースに
思わず
笑ってしまった

最後までメキシコは
私を離さないつもりなのかもしれないと
思う瞬間であった

結局彼がいつ
渡航できるのか
現時点では皆目見当がついていない

そしてこうした出来事を
目の前にしながら

我ながら
メキシコに愛されているなと
痛感する

スペインから去る時も
フランスから旅立つ時も
オーストリアを後にする時も

その土地から
本当に愛されたと思うような
出会いとフィナーレが待っていた

スペインでは
結局、うまく行かなかったが
友人たちと会社を興した
そして私にスペイン語が残った

フランスでは今につながる
ハイヒールに出会い
人生の軸が
180度変わった

ウィーンでは
バイオリンに出会い
素敵な音楽の師にも出会えた

そしてメキシコは
自分の生きる生き方を
肯定してくれる仲間たちに出会った

その土地その土地から
愛されること

それはこちらが
その土地を愛してやまないのは当然なのだが
やはり
異文化と自分が融合していく過程を
楽しんだ結果なのではないかと思う

家の修理や電化製品が
一度で直らないのは当たり前である

荷物の宅配が
予定通り来ないのは普通である

断水や停電も
日常の出来事の一つになる

キャッシュカードがATMに飲み込まれたり
自動販売機から商品が落ちてこなかったり

そういうことも
当たり前の世界である

そのすべての出来事を
愛しいと思えるかどうか

それが
その国を愛し、愛されるかどうかを
決めているのだろう

スペインやフランスで
移民局に早朝から並んだ思い出も
今では懐かしい
記憶の一ページである

帰ると決まると
一日、一日が
愛おしくなる

でも本当は
私たちの毎日は
全てが愛おしくなければ
ならないはずである

日本に帰ったら
新しい生活習慣が始まる

その時は
毎日が愛おしくなるように
生きていきたい

La Carrière -Mariko