ハイヒールの哲学の、核

2012年だったと思う

ASAMIという名前の女性に
会いに出かけたのは
本当に偶然からであった

クリスチャンルブタンで
一目ぼれしたハイヒールを手に
私は
どうやって歩くべきなのか
悩んでいた

お手持ちのハイヒールを
眺めて頂きたい

足を入れる部分と
かかとの下には
細いピンがついている

スニーカーなどで歩く際
私たちは
かかとから着地をしている

この細いピンから着地をすることを
想像してもらいたい

硬い石畳でも
コンクリートでも
ピンから地面に着地をすれば
折れてしまうと
考えたりしないものなのだろうか

私はまず、それを疑ったのである

ピンのような細いものに
50キロ近い体重が
乗るのである

壊れないわけがない

力の法則は
地球上では平等である

ハイヒールを履いている人たちが
特別な浮力を持つはずもないのだ

では、どうやって歩くべきなのだろうか

私はそれを解決するために
ハイヒールで歩くことを
教えてくれる人を探し出したのだ

パリと言う場所がら
絶対に一人はいるだろうと
なぜか確信を持って
検索をしていた

なぜ疑問に思わないのだろうか

ハイヒールの美しさを
大事にしたいと思うのであれば
靴を大事に思うのであれば
傷めない歩き方を
しようと思わないのだろうか

コンサルティングも
実践編に入り
私もコーチの立場での発言を
トレーニングするように
なってきた

その中で、やはり
理論の大事さを痛感するのだ

でも
理論の前に

感覚的に
ハイヒールでかかとから着地をすることが
この靴を傷めるかもしれないと
想像している人が
いると思うのだ

誤解を恐れず書くと
ハイヒールの哲学の理論は
決して特別なものではない

なぜなら
ハイヒールで歩く際のロジックは
物理学的に見て
当然のことを
言っているだけなのである

そこにハイヒールの哲学の核がある

核となっていることは
決して特別ではないが
このハイヒールの哲学を
特別なものにしている
要素が他にある

それは
その核を美学の観点にまで
落とし込んでいるということである

だからこそ
ASAMI PARISのコーチ陣が提供する
ハイヒールのレッスンが
特別なのである

理論と美学
ロジックと感性の世界の融合を

私の手から
貴女にもお届けできる日が来るよう
今しばらく、私を見守っていただきたい

La Carrière -Mariko