公共の場におけるプライベート空間
久しぶりに日本に帰り
違和感を覚えたことがある
それは
日本人の公共の場
つまり
パブリックスペースにおける
個人の空間に対する
主張の強さである
例えば満員電車
これは
どれだけ避けようにも
他人と接触してしまうことが多い
しかし
多少の混雑や
座席に座っている瞬間になると
瞬時に
プライベートゾーンを
主張し始めるのである
例えば
横長の電車のシートに座る際
他人の身体の一部に
ふいにあたってしまったり
偶然
隣の人の洋服が
自分の身体の下敷きになってしまうこともある
こうした際に
すいませんと言葉をかけると
相手の方が
異様なほど自分の身体を小さくしたり
嫌そうな表情を浮かべたりするのである
お互い故意はないにもかかわらず
まるで自分が所有している聖域を
誰かに踏みにじられたかのような
態度を取るのである
この風景に
私は寒気を感じてしまった
そもそも人口密度も高く
残念ながら
日本では
一人当たりのスペースが
絶対的に少ない
だからこそ
個人の領域と言おうか
プライベート空間なるものを
主張してしまうのだろうか
それとも
単に
他人に対して私は私だと
主張しなければ
押しつぶされてしまうからなのか
それとも
自分がそれほど大事なのか
他人と関わりたくないのか
その理由はよくわからないが
とても心が狭くなったと
感じたのである
公共の場において
プライベート空間を主張することは
賛否両論あるであろう
それは
満員電車となる時間帯日本での
大きな荷物を抱えている人であったり
ベビーカーを引いている人であったり
そのような人に対する
昨今の日本での議論が
物語っている
そして
こんなにも
他人に対して
かたくなに拒否してしまうような
文化になってしまったのだろうかと
少し
ショックを覚えたのである
もちろん
満員電車に何十分も揺られることは
私自身も
好きではない
そして皆
好き好んでやっているわけではない
ただ
もう少し
誰か知らない人を思う気持ちが
態度にあっても良いのではないかと
正直感じることが
多かったのだ
過去
飛行機の中で
泣き止まない子どもを
何とかして欲しいという議論も
話題になっていたが
これもおそらく
こうした
異常なほど強い
日本人の
公共の場における個人空間の主張の強さから
来るものではないかと
考えている
個人の空間をよくする前に
公共の場を気持ちよくするべきで
そのためには
多少なりとも
他人と関わる必要があるのではないかと
考えさせられた日本滞在であった
La Carrière -Mariko