活字離れというけれど
一般的に
本を読まなくなったという話を聞く
数々の雑誌の発行数は減り
廃刊や休刊になるものも多々ある
確かに学生時代と比べると
読んでいる本の数は
減っている
特に趣味だった
文芸ものの雑誌や
児童文学など
触れる機会が
ずいぶん減ってしまったのも
事実である
読んでいる本の大半は
マーケティングや心理学
行動分析や経営学
人材育成に関するものである
加えて
物理学や言語学
ファッションなどの本も読むが
主に
学問分野で研究されているものが多い
純粋な文学や
創造された物語を読んでいる時間は
確かに少なくなっている
もともとお風呂好きな私は
日本では
湯船につかりながら
雑誌を読むのが
夜の楽しみでもあった
雑誌の記事を斜め読みしながら
いろいろと想像を膨らませるのである
この人はどんな思いでこの記事を書いたのか
作者の意図ははんだろうか
私が主人公の立場だったら
どんな行動をとっただろうか
想像の範囲は自由である
しかし
メキシコの家には
湯船がないため
そんな時間も
ほとんど取れていない
唯一の読書時間は
飛行機や長距離バスの移動時間である
想像をすることは
実はとても大事な習慣である
脳科学で証明されつつあるが
将来の絵姿に近いものであったり
自分のありたき姿やビジョンも
こうしたイメージから生まれることもある
読書の世界に没頭し
想像の世界に体を沈める
そういう時間こそが
実は貴重な時間なのである
物理的な本を持ち歩く機会は減ったが
実は電子書籍や雑誌などは
大変便利なものである
今や
日本語の本や雑誌も
入手できるのである
読書は世界中どこにいてもできるはずである
それに
インターネットを探せば
優良な記事もたくさん出ている
もちろん
記事は選ばなければ
ただの時間の浪費になってしまうこともある
もしかすると
真の意味での活字離れは
本を読まなくなったことではなく
想像する時間が
減ったことにあるのではないだろうか
インターネットから記事を読んでいると
次から次に
新しい記事を誘う宣伝が目に入る
こうすることで、記事から目を離さないように
作られているのだ
しかし
読むだけではもったいない
読んで、文字を味わい
味わった文字から
描かれた世界を想像しなければ
本当に読み切ったことにはならない
これは
読んだ本や文章から感じたことを大事にし
頭の中に大事なことを記す作業でもある
頭の中に居座った言葉はやがて
知識に変わり
その人の能力と混ざりあって
生活や人生に活かされていくのだ
だから
本を読めと
昔の人は言うのである
近いうちに
ソファの上で山積みの本を読みながら
白いノートに
想像の世界を書きなぐるような
そんな休日を
過ごしたいと思う
La Carrière -Mariko