器の大きさ

人の器をはかるのは
そう簡単なことではない

そもそも
器の大きい人とは
どのような人のことを言うのだろうか

頼りがいのある人
あらゆることに寛容で
心に余裕があり
人からのアドバイスや苦言でさえも
受け止められる度量がある

人によってイメージする姿は違うが
基本的に
器は人物の力量や才能を表し
大きさは、どれだけ他人を受け入れられるか
というのが
一般的な定義のようである

人間としての魅力の一つに
このような言葉が存在するということは
人はみな
誰かに受け入れてもらいたいと思っているのだろう

それが
家族であれ
恋人であれ
友人であれ
仲間や同僚であれ

他人を受け入れるというのは
そう簡単なことではない

正直、私はそんな善人ではない
自分自身を受け入れる器すら
持っているのかどうか
あやしいと思うほどである

力量や才能、心の中身は
可視化するのが難しいが
一方
肉体的な形や変化は
簡単に目にすることができる

身体は正直である

寝不足になると瞼が腫れる
寝過ぎでも同じようなことが起こる
風邪をひいて熱が出ると
顔色が変わる

私の場合
そもそも、疲れてくると
かみ合わせが悪くなる

かみ合わせが悪くなってくると
休めというサインであると
感じることができる

身体は決して大きいわけではないが
私という命を宿している器であることに
違いない

身体が発するサインに
耳を傾けなければ
器そのものが壊れてしまう

ハイヒールレッスンを通じて作り上げるのは
芯のある身体
軸をもった身体である

高さのある花瓶が
美しく立っていられるのは
土台がしっかりしているからである

私たちの体にも
強い土台が必要なのである

身体の軸や芯を作り上げると
立ち姿勢でもより安定するようになり
必然と姿勢がよくなるのだ

器の大きさを語るとき
つい、寛容な心のことを考えがちだが
身体と心はつながっているのである

心はそう簡単に変えられないかもしれないが
身体は変えられる

目に見える変化を味わうことで
心の持ち方が変わることも
あるに違いない

他人を受け止められる心を育むためにも
芯のある身体を
自分の器にしたい

 

La Carrière -Mariko