自分の意見を持ち、互いを尊重する

夫との二人暮らしも
なかなか面白い

時差もあり
会議の時間などで
夫の仕事の時間は
不規則である

大体の場合
私が先に寝ることが多く
夫は仕事を終えて
寝るのが
午前さま、ということも多い

そして朝は私の物音に起こされ
割と早い時間から
活動を開始することになる

夫婦二人の共同生活

共に暮らすということは

日々の瞬間瞬間で
全く違う習慣、環境で
生きてきたそれぞれが
持っている
独特の価値観の
妥協できるところを
探り合い、見つけ合うことの
発見でもある

そしてこれが
上手くいかなくなると
生活を共にできなくなるのだろうと
思う

こんなことを考えながら
生活できるのは
やはり
大人になってから
共同生活を始めたメリットなのであろう

お互いの意見が一致するところ
譲れないところ
譲らざるをえないところ

そんなものが
積み重なって
日々が出来上がっていく

異文化理解の最初の一歩は
やはり
夫婦や兄弟姉妹
親子と言った
他人との生活に
あるのだと思う

きっとそう考えると
世界と自分との距離が
さらに
短くなっていくのではないだろうか

画一された価値観
他人と同じ意見であること

それは
強要されるものではないはずだったが
日本の学校教育は
(特に私の世代はそうだったと
 経験上、そう思う)
そういうものが多かった

だから
個性を出すこと
ストレートに思いを表現することは
悪とされがちであったし

そのように
育ってきた大人たちや
育てられてきた人たちが
大半なのだろう

自分を出すことを恐れない

それは
全ての人に認められた権利であり
決して悪いことではない

大人になってからでも
習慣や癖は変えられる

自分の意見を持ち
互いにそれを尊重し合いながら
妥協できるところを探す
もしくは
納得のいくところを見つけ出す

そんな作業の方法を
私たち日本人は
もっと鍛えた方がよいのかもしれない

夫婦の形
家族のカタチですら
多様な価値観の元
たくさん存在してよいものなのだと

夫との二人暮らしの毎日を
重ねながら
考えている

La Carrière -Mariko