年齢を聞かれることに嫌気がさす

先日、アメリカで日本語を教えながら
大学に留学している友人と
電話で話す機会があった

奇遇にも私がオハイオに降り立った日であった

外は雪の世界
車も持っていないため
寒さに負けて
ホテルにこもっていた日の
出来事であった

アメリカの田舎で働くのは初めてだと
彼女は言っていた
田舎の大学の食堂で
いつも、え、あなたいくつなの?と
聞かれることに
嫌気がさしたというのである

若く見られたいと思う日本人も多いが
彼女の場合
プロフェッサーなのに
若く見られることに
嫌気がさしているというのである

私もそれには同感した

若く見られることが
決していいことばかりではないのだ

私自身にも同じような経験がある

フランス時代
若者扱いされてきたことに
嫌気を覚えたものである

お客様や投資家に会う際
わざと
私のこの十数年余りの経験から申し上げますと
などと言ったものである

年齢を話題にすることが多いのは
基本的に儒教の国である

例えば日本や韓国
中国もである

アメリカでは身体的なことや
年齢にかかわることは
下手をすれば差別として扱われ
訴えられかねないはずである

はずである、なのだ

でも結局
それはマジョリティーの話であって
小さな田舎の町で起こる出来事ではないのだと
彼女のセリフを聞いて
痛感した

かつて私が
日本の地方都市で暮らしたことについては
地方転勤から学んだ問いにも書いたが
確かに
熊本での生活では
都会のそれとは
違う価値観の人が
多かったのも事実である

昔ながらの人達や
メディアに流されることが好きな人たちは
若く見えることこそが
美しいと考えている人が多いのも
事実である

若く見えることが
美しさの秘訣であるわけがない
ビジネスの成功の秘訣でもない

若いとか、若くないとかではなく
私という一人の人が
いかに
美しさを気にして生きているのかを
見られるような
私になりたい

そして年齢を聞いてくる人がいたら

それを聞いてどうするおつもりなのですかと
返答しようではないか

La Carrière -Mariko