待ち時間をおしゃべりで過ごす

メキシコシティ空港の一部が
現在改装中となっており
お手洗いに
長蛇の列ができるようになってしまった

先日出張時にも
仕方なく、その列に並んだのだが
皆、しょうがないと分かりつつ
不機嫌そうなのが
伝わってくる

後ろに並んだ人が前方の人と会話を交わす
彼女は空港の職員で
他のゲートそばのトイレが
もしかしたら
もう使えるかもしれない
と言うのである

実際私は
その彼女の示すゲートからやってきたので
まだ工事中であったことを伝えると

残念ね、じゃあ並ぶしかないわねと
お互いに肩をすくめあって
おしゃべりを始める

どこに飛ぶの?
どこからきたの?
出身地は?
メキシコは好き?
あなたの国は何があるの?

そんな
どうでもいい会話

でも
そうやって前後にいる人々と
何でもない会話を交わしながら
一期一会を楽しむのである

すると
あっという間に
自分の番が回ってくる

思ったより早かったわねと
互いに言い合いながら
お手洗いの個室に
各自が入っていく

会話はそれで終わりかもしれない
でも
同じ待ち時間を過ごすのであれば
楽しく
気持ちよく
過ごしたいものである

その気持ちは
誰だって同じである

そうやって過ごしていると
子どもを抱いた母親がトイレに飛び込んできて
なんとか列の前方に入れてくれと
頼まれても
全く
嫌な気持ちにもならず

むしろ
どうぞどうぞと
なんだか心が広くなったかのように
振る舞うことが
できるものである

私はラテン系の人々の
こういう心の広さや
他人に対する開衿の具合が
本当に好きなのだ
そして
生きやすいとすら思う

長いトイレの列に10分も待つとしよう
携帯を見ながら時間を潰すのもありだが
偶然の出会いを楽しむくらいの
心の広さがあっても良いのではないかと
思うのだ

日本に足りないのは
そんな気持ちと心の広さだと
痛感している

言葉だけではなく
本当に心から他人を受け入れるような
土壌を作らなければ
本当の意味での
おもてなし、にはならないのである

La Carrière -Mariko