ハイヒールウォーキングを学ぶことに抵抗がある人へ

今日は習い事があるので
早く帰りますと
周りの人に告げて
オフィスを後にすると

何を習っているのかと
詮索してくる人が
必ず一人や二人
いるものである

その際に
ハイヒールウォーキングを、と
堂々と言おうとしている人は
少ないのではないかと思う

そもそも
ハイヒールで歩くことに対しての
理解が少ない

ハイヒールなんて
何のために履くの?
たかがパーティや結婚式のためでしょう?
誰のためにハイヒールなんか履くの?

などと言う声が挙がるのが
簡単に想像ができる

そう、そうなのだ

日本人は人と合わせるのが得意だが
人と違うことをしていると
主張するのも苦手であるし

そういうことを主張する人を
下手をすれば
つぶしてしまおうとする習慣が
根強くある

ハイヒールは自分のために履くのである

綺麗に見せること
美しくありたいと思うことは
自分が決めることである

誰かのために
美しくあろうなどと
思う必要など
微塵もないのである

自分がどうありたいか
その想いを
まずは持つことである 

そして
美しく歩くためには
相当の努力が必要なことを
世の中の人達は知らない

ハイヒールは苦痛である
悪者である
足や身体を悪くするものである

世間がそういうのも
無理はない

知る人ぞ知る世界
それが
ハイヒールの世界だからである

しかし、これでは
世界の女性たち
日本の女性たちが
変わることはない

私は目の前にいる一人の女性が
美しく歩きたい
美しくなりたいと
思う気持ちに
ただ、寄り添えるコーチでありたい

ハイヒールへの憧れが
本当に小指ほどの大きさでも
指先の爪の隙間のような規模であったとしても
心の中にあるのであれば

その気持ちに
素直に従ってもらいたいと思うのだ

ハイヒールの学びに対し
抵抗がある人たちがいるのなら
その人の心に
そっと手を差し伸べたい

置かれている環境によって
周囲の人たちに
堂々と言う必要はないが

大事なのは
私が、貴女が、どうなりたいか
どうありたいかという
気持ちだけである

そして
私はコーチとして
ただ
その気持ちに火を灯すだけである

さらに
ハイヒールウォーキングを学ぶことに
抵抗がある人にこそ
学んでいただきたいと
思ってしまうのは

これまで上司として
演じてきた性分から
なのかもしれない

La Carrière -Mariko