大嫌いだった、エッフェル塔

人生で初めてパリに行ったのは
忘れもしない
冬の日

仕事で
クリスマス一週間前のパリに
降り立った

オルリー空港に降り立ち
市内へ向かいながら
パリがいかに都会なのかということを
感じたことを
覚えている

私は当時バルセロナに住んでいた

仕事でパリに行くことになろうとは
想像もしなかった

しかし
それから
私は大きな仕事の度に
パリへ出張することになったのである

ほぼ毎月
パリへ向かい

多い時は複数回

時には数週間の単位で
パリに滞在した

しかし
仕事は仕事である

パリでの仕事は
正直
厳しいことばかりであった
睡眠時間もほとんどなく
身体を酷使した滞在も多かった

こんな経験からか

私にとって
エッフェル塔は
苦痛の象徴であった

きらきらと街を輝かせる光
人々が美しいと称賛する声
そのすべてが
憎いと感じるほど
エッフェル塔が嫌いであった

それはおそらく
エッフェル塔近くに
ステイすることが多かったからだとも思うが

とにかく
辛い思い出しかないのが
私の、二十代のパリの思い出である

そして

まさかその数年後
パリに住むチャンスが訪れようとは
その時は想像もしなかった

その街で
ハイヒールと出会い

ハイヒールを通じて
一人の女性を美しくすることを
考えようなど
かけらも思っていなかった

人生とはこうも変わるものである

大嫌いだったエッフェル塔は
その後
毎朝眺める
心地よい風景の一つへと変化を遂げた

フランス語を話せななかった私も
日常ではフランス語を使うようになった

パリは最初から知っていたのではないかと
思うのだ

自分を持たずして
この街では生きていけないと

だからエッフェル塔は
私を再度出迎えたのだ

私のことを勝手に嫌いになるな
貴女は自分のすごさに
気付いていないだけだ
人生は変わるものだ
憎しみは何も生み出さない
愛と美しさを持っていれば
必ず
変化の時が訪れるのだ

そう、伝えるために
エッフェル塔は
私を再度パリへと導いたのではないかと
なぜかそう
感じるのである

コンサルティング卒業までの道のりを
この言葉を胸に刻みながら
歩いて行きたい

La Carrière -Mariko