私という人間を
一番よく知っているのは
自分自身である
しかし
その自分自身の像が
常に正しいとは
限らないのである
他人から見た私の方が
圧倒的に
数が多いのだ
知り合い、友人、家族
毎日出会う人の数だけ
私という像が存在する
時には怒りっぽく
情熱的で
愛に満ち溢れ
感情豊かで冷たい人
口うるさく怖い人
すべてが
本当の自分の一部であるのだ
誤解が生まれることも
当たり前である
自分が自分を見ている姿と
他人が自分を見ている姿が
一致することは
ほとんどない
いや
あるかもしれないが
それは稀である
何度もぶつかることもあるだろう
喧嘩や言い合い
時に
感情を出し合い
胸が張り裂けそうになることもあるだろう
他人と理解し合うのに必要なことは
自分が思う自分自身と
他人が見た私という存在にも
同じことが言える
何度もイメージを変えたいと
思う人もいるだろう
変えなくても
ありのままでいたいと思う人もいるだろう
でも
他人が見ている私という人は
自分が思っているものと
大きく違うものである
性格や人格
考え方や思い込みなどにおける誤解は
その違いから生れるものである
だから
誤解は生まれて当然なのである
むしろない方が不自然である
しかし
その誤解をうまく利用することで
自分の新たなイメージや
カリスマ性を作り上げていくことも
できるのである
誤解されること
そして
誤解すること
それが起こることを
自然と受け止めること
そして
それを利用できるようになることで
人生は
深みを増す
La Carrière -Mariko