バイオリンに救われた日のことを忘れない

ウィーンに住んでいた頃
私は孤独だった

その冬は
歴史的な大雪が降り
休日も家で過ごす人が多くなった

街を歩くと
帽子がなくては頭が痛い
マイナス二十度を超える世界と
曇り空に
心も少し疲れていた

自分の大切な仲間と
どうしても
別れなければならなかったり

大切にしていたはずの
理念や柱が
折れ曲がるのを
目の当たりにしなければならず

私はこの土地で
この国の人々に対して
何もできないでいるではないかと

すっかり
意気消沈していた

仕事が佳境に入り
とてつもなく厳しい状況だった時

心が固まり
冬の寒さと同じくらいの痛みが
襲ってきた

つらく、暗く、悲しい時間だった

だが

その闇から救ってくれたのは、バイオリンだった

大の大人が
三十を超えてから始めるには
無謀ともいえる楽器ではあるが

私はバイオリンに人生を救われた

パリに転勤になった時から
是非始めたいと思っていたのが
バイオリンだったのだが
始めるチャンスがなく
いつの間にか
オーストリアに移り住んでいた

バイオリンとの出会いは
また別の機会に綴ろうと思うが

自分の力で音を出す楽器を奏でることで
私の世界には
彩りが戻ってきた

暗い曇り空に
虹がかかったかのようだった

バイオリンのレッスンを
週に一度受け始めたことで
毎日の課題ができた

音を出せなくても
指を動かす練習をした
音を出す場所を確保するために
夜中まで働いているオフィスに
楽器を持ち込んだ

夜中に弾くバイオリン

決して上手ではないが
その音色が
体に響いてくるのが
心地よかった

音がくれる力を
音楽が私にくれる力を
再度認識した日々であった

仕事もつらく
本当に
何のためにウィーンに住んで
誰のために働いているのか
見失いかけた時に

一つの光として現れたのが
バイオリンであった

本当に苦しい時
つらい時には
必ず何かの救いが
やってくるものである

それは
求めているものかもしれないし
求めていなかったものかもしれない
想像を超えた別の世界から
やってくるものかもしれない

苦しい時
つらい時は
私は助けを求める方ではなかったが

この出来事をきっかけに
助けを求めることの意味を
知ったのである

La Carrière -Mariko