常識に囚われずに生きる

世の中の常識というのは
誰が作っているのだろうか

それは
歴史や文化に裏打ちされたものでもある

一方で
私には理解できない
日本の常識が
たくさんある

夫婦がどちらかの
姓名を選ばなくてはならず
選んだ結果
旧姓を表現する方法が
パスポート以外
ほとんどないこと
(一部住民票もようやく始まったが)

公共交通機関での
携帯電話での通話禁止
周りのお客様のご迷惑になるそうだ

などが一例である

地方都市に住んでいる時は
単身赴任は男性のものという
レッテルも強かった

そう
常識というのは
時には習慣とも同義となったりもする

常識に囚われないで生きる勇気を持つこと

それは
並大抵のことでは難しい

特に日本では
周囲と合わせることが
正しいとされているため

周囲が常識と思っていることに
自分を合わせなければ
ならないことも多く

それを打ち破らなければ
ならないのだ

常識に囚われない生き方

それは
個性を大事にすることでもあると
私は考える

個性を大事にすることは
他人を大事にしないことでも
調和を重んじないことでもない

ただ
私たちには
個性を大事にしながら
和を重んじるような
習慣が
これまでなかったことも事実である

日本で生きていくのが
辛くなり
海外へ居場所を見つけに
出て行く人も
多々いるのは

あまりにも
常識に縛ろうとする人たちが多く
それに疲れてしまった証拠でもあろう

他人に迷惑をかけないことと
自分を大切にすること

その両立を実現できるような
日本人女性が
増えていくといいと
心から願う

私自身は
ハイヒールのレッスンを通じて

ハイヒールは危険で
身体に悪いという
常識を
覆そうではないか

常識に囚われずに生きるのは
難しく
いばらの道ではあるが

人生を掛ける
価値のあるものでも、ある

La Carrière -Mariko