子どもの頃
親が
ご飯ができたよと
声をかけてくるとき
何かに熱中していると
ついつい
食事が面倒になったり
声をかけられたことを忘れて
返事だけして
また別のことをしたり
していたことを思い出す
親はきっと
私はあなたの飯係じゃないわよと
心の中で
少しは思っていたのではと
最近思う
食事ができあがり
夫に声をかけても
大きな音でビデオを見ていたりして
返事があるのかすら
聞えなかったりもする
何度声をかけても
くる気配がない
そういう出来事があった
確かに我が夫は
ご飯だよと言ってから
席に着くまで時間が長い
シェフとしては
出来立てを食べて欲しいのに
呼ばれてから手を洗い
なんだかんだと
こなしてから
席に着くので
結局冷めてしまう
そしてそんな夫を見ながら
食事を共にすることの
意義を考えてみた
食事を共にするというのは
家族の仲だけではなく
友人や知人
ビジネスの場でも
大変重要なことである
同じものを食べることで
得られることは
お互いに共感し合うことであったり
新しい何を発見することであったり
人それぞれ
機会によっても異なるが
お互いを理解するのに
欠かせないものでもあると
言える
家庭の中が
最初の異文化理解だと
つくづく思うのは
こういう経験が
あるからなのだろうと、思う
La Carrière -Mariko