靴を脱ぐことから、世界を考える

部下から
メキシコで私が仕込んでいた仕事が
花開いた瞬間の
素晴らしい映像が
送られてきた

彼らは
ここにMarikoがいないことが
本当に残念だけれど
貴女の残したものは
花開き、そして輝き続けますとの
メッセージを
送ってくれた

その言葉に
私はメキシコでの日々に
少し思いを馳せた

自宅の入り口で
靴を脱ぐという習慣は
当たり前のことだが
それは日本という国において、である

自宅に部下を招いた時に
靴を絶対に人前で脱いではいけないと
親に教わった彼は
日本という文化について
知ってはいたが
やはり本当だったんだと
驚いたのだとも言っていた

育った環境が
世の中のすべてでは、ない

そんな簡単なことを
体験したり
経験を通じて学ぶ機会というのが
いかに希少なのかを
知らされた

異文化理解というのは
こうした
小さなことの
積み重ねで
出来上がっていく

赤い絵の具と
青い絵の具が
混ざり合い
別の色へと変わっていく姿

マーブルになり
次第に融合し
グラデーションになったり
時には混ざらないものも
残しながら

異文化理解の鍵は
日常生活に
たくさん潜んでいる

食べているもの
服装や身に付けているもの
お金の使い方
お風呂やシャワーや
自宅の造りにも、である

靴を脱ぐ習慣も
COVIDのおかげで
世界に広まりつつあるという

確かに外から
何かしら外の害のあるものを
持ち込まなくて
すむようになる

これが世界の標準に
なるかどうかは
正直分からないが

日ごろの動作一つでも
実は世界とつながる
大きな可能性を秘めていることを
今日は書きたいと感じた

そんなことを
お箸を持ちながら
考えていただけたらと、思う

La Carrière -Mariko