不妊治療と異文化理解

約一年間の
メキシコでの不妊治療との闘いの日々も
終わりが見えてきた

一つ目の病院の
排卵誘発剤と相性が悪く
全くうまく行かなかった

複数クールのトライをしたが
血液検査の結果も
すぐに出てくることもなく
説明をされることもなかった

そんなことから
私はこの病院に
疑問を持つようになってしまっていた

受精と着床の可能性を上げるために
医者からは
ドナー卵子を勧められた

この時
私は自分の人生が
何のためにあるのだろうかと
自分を責めた

苦しかった
そして
ただただ、泣いた

悲しかった

そして
どうしようもない
何かを失ったような
喪失感に沈むしかなかった

日本人の価値観と
欧米、特にアメリカの不妊治療に近い価値観が
理解できないと思った瞬間でもあった

メキシコの医療で言うと
高い技術を持つ医者はいるには、いる
ただし、世間一般の病院で
そういうメディカルドクターに出会うのは難しい

高度生殖医療の技術の先端は
スペインにある言われている

そしてこれがきっかけで
実際、スペイン、アメリカ、日本
それぞれの強みとしているところを
調べて学ぶことになったのだが
それはまた別の機会にきちんと書こうと思う

いずれにしても
私はどん底の中

仕事とハイヒールの両立をせねばならず

さらに不妊治療を続けるかどうかを
決めなければならなかった

諦められない気持ちに埋もれていたが
希望がない中でも
光が差すことも、ある

こちらも不妊治療のために
通っていた鍼医院で
偶然にも知り合った女性から
二つ目に通うことになる病院を
紹介されることになる

結果として二つ目の病院でも
うまく行かなかったのだが
この時
希望を持ち続けてよかったと思う
出会いがあった

いずれにしても

この経験を通じて

異文化理解などと
偉そうに
ブログで書いている身ではあるが

自分の理解をしていることと
心がついていくのかどうかは
別物なのだということを
心底思い知った

そしてそんな自分に苦笑した

今だから
当時を振り返って
書けるのも事実である

異文化の違い
考え方の違いに
逆らえないこともあるのだと
理解をする
良い経験になったと、思う

La Carrière -Mariko