告白

私には
ここに書くべきか、書かないでおくべきか
ずっと悩んでいたことがある

でもようやく、心の準備ができた

それは私の不妊治療のことである

何度かホルモンのバランスが
崩れていることについて
書く機会はあったが

本当のことを申し上げると
私はこの1年あまり
不妊治療と向き合っている

結婚したのも遅く
年齢的に自然妊娠が難しいことは
分かっていた

ある時、生理が一度飛んだことがあった

その時に、もしかすると
私の身体はきちんと排卵できていないのではと
頭に不安がよぎった

それがきっかけになり
高度生殖医療へ進むことを
夫婦で決めた

メキシコにあと何年いるのか分からないのに
ここで不妊治療をする意味があるのか
仮に卵子を凍結したら
日本へ輸送する手段はあるのだろうか

そんなことを思いながらも
最初の病院にたどり着いた

凍結後の卵子をどうするのか悩んでいたこともあり
最初は人工授精からと思っていたのだが
医者からの回答はIVF
つまり体外受精一択であった

年齢的に余裕はないよと
医者は明確にそう言った

正直
メキシコの不妊治療は、高い
お金がない人にはできない

それは日本も同じではある

でも
食料の物価は日本の半分
給料のレベルが半分の国で
日本の二倍を支払う必要があるのが
現実であった

幸いにも夫婦二人で働いていることから
私たちは時間と技術を
お金で買うことを決意した

そんな中であった

何年振りかにASAMIさんとの
メールをやり取りをする機会があった

そして、何通かのメールのやり取りのあと
彼女は私に、実は二人目を身ごもっているのですよと
伝えてくれたのだ

それで
何かが私の中でつながった

仕事で男性の性ばかりを出す毎日では
子どもなんか授かるのは難しい
女性の性を意識することで
ホルモンのバランスも
コントロールできるようになるのではないか

そんなことを考えたのだ

私はコンサルティングを受けることを決めたものの
ただでさえ出張のスケジュールが多いこと
さらに不妊治療を始めることで
何かしらの制限が出てくるに違いないと
思ったことが
一番の不安材料であった

だから正直にASAMIさんに伝えることにした

彼女は、その際に大丈夫ですと
はっきりと答えてくれた

そして彼女のその思いやりは
実際にコンサルティングの中で
答えとなって出てきた

最初はレッスンやコンサルティングは
翌週か前の週に振替を行っていたが
だんだん身体が持たなくなってきた
そこで
無理やりレッスンを入れるのではなく
出張等で空いた場合は後ろに倒すということを
ASAMIさんと相談して、決めた

現に私は、コンサルティング史上最長に長い
生徒になっているに違いない

そんな後ろめたさもあり
ずっと書かないできたのだが
やはり書こうと決めた

理由は近いうちに書きたいと思う

不妊治療というものの現実が
これほどまでに大変なんだということを
始めてみて、思い知った

そしてメキシコの医療の現実と
日本やアメリカ
ヨーロッパの不妊治療についても
相当調べる機会にも恵まれた

不妊治療を通じて
ハイヒールのことを
考えてきたことも
これから少しずつ書きたいと思う

今日ここで
一つ言えることがあるとするならば
この長いトンネルを抜けるためにも
ハイヒールで歩いている間は
もっと女性らしくありたいと
ますます思うようになったことである

命を繋ぐリレーの難しさと
私はまだまだ
向き合わなくてはいけない

La Carrière -Mariko