功罪

なぜか
功罪という言葉が
頭をよぎった

手がらと過ちと
相反する言葉である

その二つが、たった二文字に
詰まっている

朝、目が覚めたあと
こんな言葉が
頭に思い浮かぶなどとは
予想しなかったことである

家を出る直前に
私は持参する朝食を作る
今は毎朝、二個か三個の卵を料理し
それをオフィスへ持参している

お昼休みが14時のため
朝5時や6時に食べたら
むしろ昼食前に
お腹がすいてしまうため
オフィスで食べることにしているのだ

卵を落とし、トマトペーストを混ぜながら
スクランブルエッグを炒っていると
なぜか言葉が
頭に浮かんできたのだ

それが、今日のタイトル、功罪である

ブログの功罪

そんなことを
書こうと、ふと、思った

私がブログを書く時間は
朝であったり
夜であったり
まちまちである

ブログの速度を落とそうと思ったが
むしろCOVID-19の影響で
出かける時間が減り
ブログに時間を割かない理由がなくなった

ブログを書くと
自分の頭の中が整理される

正確には書きながら整理しているのだろう

今日こそもう少し早く寝ようと思うが
ブログを書きたくて
やはり、寝る時間は遅くなってしまう

睡眠時間が減ることは
ブログを書くことによる
私への悪影響である

最初は卵とトマトのペーストは
別々のものなのだが
スクランブルエッグを炒るにつれ
箸を使って二つを混ぜていくと
次第に入り交じり
最後はトマト味のスクランブルエッグが仕上がる

功罪とはそういうものだろう

つまり
良い影響も悪い影響も
共に合わさるものなのだ

そしてその二つを
合わせもっていないものなど
実はこの世に存在しないのではないか
とさえ
思う

そしてこれは
もしかすると
ヘーゲルというドイツ哲学者が語る
弁証法と同じことなではないかと
想いを巡らせた

弁証法とはある命題(テーゼ)と呼ばれているものと
それに矛盾もしくは否定するような
反対の命題(アンチテーゼ)があり

その二つが止揚する
(と、ヘーゲルは言っているが)
つまり相反するように見える二つが
お互いを消し合うのではなく
お互いを尊重、保存し合うことで

二つを統合した新しい命題(ジンテーゼ)に
たどり着くと言うものである

どこか
功罪という言葉と
何か似ていると感じる
朝であった

La Carrière -Mariko