官能的であること

今の世の中で
何をセクハラというかは
大変難しい議論である

私も基本的には
仕事の上では
女性であることを
消したいと思う

難しいのが
仕事が絡んだ会食や
レセプション
飲み会などの場である

私のことを女性らしいと
言う人は少ないが
時々女性らしさを
垣間見る瞬間があると
言われたことがある

そして
そういう発言をするのは
とても目上であったり
重要な役目を担っている人であったり
するのである

人を見る目とは
そういうものだ

本質を見抜くこと
本来持っている才能や
何かを感じとることでもある

辞書によると
官能という単語は
感覚のことも指すと言う

特に性的な感覚という
注釈はあるものの、である

これは大変面白いことである

直感が働く人や
感覚が鋭い人は
ある意味官能が発達しているのかもしれない

性的な感覚というのは
そういうものなのかもしれない

元来人類や生物は
外的に怯えながら
生きてきたのである

子孫を残すのも
命がけであったはずだ

だからこそ
官能的であることは
生きるために
必要であったはずなのだ

日本においては
性的な欲望をを隠すことが
美徳とされてきたこともあるだろう
そのギャップからか
官能的と言われると
なぜだかとても
不快な性的なイメージを
浮かべる人も多いだろう

しかし本来は
人間らしく生きていくために
必要な感覚だったに違いない

官能的であるということは
生き抜くために
必要な能力だったのかもしれない

私の中で
官能的であるということの
深みを
作りたいと思った

La Carrière -Mariko