ほぼ二十年ぶりの再会で
彼女は母になっていた
それでも彼女は
美しかった
出会った時から
ボーイッシュで
どことなく
近寄りがたい雰囲気だった彼女は
女であることが
面倒くさそうな人であった
当時
私も同じような気持ちであったことから
彼女とは
仲良くなれたのではないかと
思う
女であることが面倒くさい
いじめだったり
仲間意識であったり
陰口であったり
妬みであったり
思春期の女性たち特有のものだったのかもしれないが
そういうすべてのものから
遠ざかりたいと
考えていたのだ
そして実際
今の私も
そういう物からは
遠ざかった生活をすることができている
しかし
現実は
こういうものが
女性特有なのだと思っていたのだが
組織の中では
実は男性の中にも多いにあり
それがまた
多分に面倒なのだということも
大人になってから知ったことである
話をもとに戻そう
二十年ぶりに再会した彼女の
一番下の娘が
お母さん、私男の子になりたいと
言ってきたのだそうだ
性同一性障害なのかと聞くと
いや
女の子であることが
いろいろ面倒だと思ったらしいと
母である彼女が言った
私は思わず
自分を重ねてしまうよねと
彼女に返事をしたのだが
彼女も
そうだねと言って
そのあと、二人で笑い合った
そう。女であることは面倒くさいのだ
それでも
彼女は美しかった
それは昔と変わらない
綺麗に切りそろえられたショートヘアであったり
何かを考える時のしぐさであったり
遠くを見る目であったり
そういうところから
醸し出されるものなのだ
女であることは面倒くさくとも
美しくありたいと思うのは
私だけではないはずだ
私も誰にも負けない
自分だけの美しさを
放てていただろうか
今度会ったら
彼女に聞いてみたい
La Carrière -Mariko