古き良きは、選択すべきである

毎日
仕事をしている中で
本当にやりたいことを
やれているのだろうかと
自問自答する日々が
続いている

私は自分の人生を
肯定的にとらえることが
得意な方であった

それでも
なんだか日々が
つまらないものだと
感じてしまうのが
日本での仕事であったりも、する

尊敬できる上司と思える人が
ほとんど
周囲にいないことに気が付く

それは良いことでも
悪いことでもない

でも
一人でも
この人のためならと思える人がいるなら
幸いだと考えた方がいいのが
現実かもしれない

私は自分自身が
他の誰かから
そんな風に思われているとは
到底思えないが

少なくとも
自分のチーム員たちが
能力を伸ばすきっかけを
作りたいといつも思っている

得意なことを伸ばし
不得意なことを
普通にするために努力する
もしくは
時に切り捨てる

そうやって
人は自己成長というものを
遂げていく

子どもが大きくなることと
大人になった人が
成長していくことも
同じことである

できないことが
できるようになる

もしくは
これは向いていないと
自分の適性を
判断していくことが
大切である

部下であったり
自分の子どもや
生徒などの
能力を
見極めていくことは

人間が成長するにあたり
とても重要なことである

一方で
日本の企業が
皆、同じように立ち向かわなければ
ならない問題がある

それは古き良きを
脱出することである

私はとある人から
古き良き習慣の一つが
足りてないと言われたことがある

でも
これはわざとそうしていることに
この人はなぜ気が付いていないのかと
思ってしまったのである

世代の違い
時間の流れ、世の中の変化の速さ

それらを
吸収できない会社は
このあと
つぶれていくだろう

今働いている会社には
少なからずとも
尊敬できる先輩や同僚が
いるのは確かだが

なんとなく
会社員ではない自分を
きちんと作り上げる必要性を感じる
今日この頃なのである

世界から取り残されるのは
男女の価値観や
性に関する考え方だけでは、ない

古き良きを大事にすることは
決して悪いことではないが
もはや
選択の時代である

そんなことばかりに
気を遣っている暇など、ない

どうしてそんなことも
分からない人が増えているのだろうかと
社内を見て、思う

そして
日本は一体どこへ行くのだろうか

そんなことを
思い始めた
秋の夜長の始まりである

La Carrière -Mariko