高校時代の決断

パスポートを初めて取った日
私は高校三年生であった
学校が募集している
交換留学のプログラムに
応募し、選考を通過したからである

高校生や大学生が
留学する募集要項には
大体英語のテストの点数などが
求められており
英語ができることが
大前提のものがほとんどである

英語嫌い、という記事にも書いたが
私は英語が苦手である
そして嫌いである

それでも留学しようと決めたのは
できないから、学ぶということである

留学にも二種類あり
語学ができる人が
専門性を学ぶために海外へ行くパターン
もしくは
語学ができないため
それを身に付けるために海外へ行くパターン
の二つである

学校が用意するものの大半は
前者のものが多く
語学の習得のために
海外へ行くというのは
なかなか珍しいケースであった

例にもれず
高校生の時の選考会も
当然ながら
英語力が試された

ある程度の勉強はしたが
私としては出来はいまいちであった
それでもなんとか
幸運にも選考を潜り抜けて
二か月の留学へ飛び立てることになった

行き先はカナダである

British Colombia州の端にある
当時はまだ田舎のスキー場しかない
小さな町であった
(最近ではスキーリゾートとして名をあげているが)

この留学プログラムに参加すると
卒業式に出ることができないという
高校生の女の子にとっては
少し残念なお土産が付いてくるのだが

当時の私は
自分の英語のできなさに
もう、相当十分に
疲れ切っていた

それを何とかしたいという想いで
私はカナダ行きの切符を手に入れたのである

留学費用は
夏のアルバイトでお金を貯めていた

高校二年生の夏から
二年がかりでの
貯金であった

もともと決して裕福ではない家庭に育ったが
教育だけには
お金を割いてくれた両親であった

これ以上
迷惑はかけれないと
子どもながらに
懸命に働いて貯金を作ったのである

私はこのころから
既に将来は
海外で働くことを
考えていたのだろう

そして
お金がない、という事実に
いつも向き合ってきていたのも
事実なのだろうと思う

今思うと
お金との付き合い方は
もっと良い方法があったのにと
当時の自分に物を申したいところであるが

カナダへ行ったことをきっかけに
私の世界で働く人になるという
キャリアであり人生は
始まったのだと、思う

何が私を突き動かしたのか

それはもう少し
思い出しながら
整理してみたいと、思う

La Carrière -Mariko