オジサン活用プロジェクトから学んだこと-2

′オジサン′活用のプロジェクトも
気が付くと
2年目を迎えていた

どうも
成果が出ているらしいと
取引先の人から嬉しい声を聞いた

顧客に対する説明が
前よりうまくできるようになったという声
製品や技術のすごさを
理解できるようになったという話

そんなことを耳にするようになった

技術というのは
使う人にとっては簡単であるべきだが
その仕組みは
難解なことが多い

極論を言うと
消費者が
その技術のすごさを理解する必要もない

ただ便利であれば
製品は売れる

けれど、それだけでは
製品に込められた
作った人の思いや気持ち
苦労などが
伝わることがない

ただの消耗品として
ユーザーに使われて終わってしまう

人間の英知の結晶
それが私たちが手に取る
商品と呼ばれるものでもある
(サービスも同じだと私は考えているが)

だから作った商品が
ユーザーにとって愛着あるものになることほど
喜ばしいことはないと思う

そしてそのきっかけづくりに
オジサンたちは
確実に貢献しているのである

今更こんなことやっても
給料は上がらないし
やらされてる感で嫌だ

などと言っていたオジサンたちが
生き生きと外へ出るようになった

伝道師なのだから
客先や取引先などに
出向く回数も
当然ながら、増える

そしてそうしたやり取りを重ねることで
オジサンたちは
自分の新しい居場所を見つけつつあるようだった

間もなく定年というオジサンたちの
送別会があった

その時にオジサンの一人が
挨拶でこう言った

最後に伝道師として
外に出て
若い人たちと一緒に働けたのは
とても良い刺激になった
僕らも若い時は
もっと仕事に貪欲だったと思う
でも
いつしか家族のために働くというのが
当たり前になってしまっていた
自分のために働くことを
思い出させてくれた
だから定年後は
自分のために
田舎に帰って農業をやろうと思う

オジサンはやらされたと思っていた仕事で
取引先の若い人たちが
貪欲に知識や技術を身に付けていく姿に
感銘を受けたのだと言う

俺ももっと頑張っていたらなぁ
とお酒の入った赤い顔で
恥ずかしそうにそう語ってくれた

オジサンたちは知っていた

本当は自分のために仕事をするのだということ
家族を養うためなのではなく
仕事を通じて
自分が成長するのだということを

でも
それを忘れてしまっていただけなんだと

教えてくれたのである

だから私は
全ての人に
同じようなチャンスがあるのだと
考えている

人の数だけ人生があり
道もある

だから、今ここにいる私に至っている

そして明日以降の自分は
自分で作り上げるものなのに

ついつい
働いている場所や住んでいる土地
一緒に暮らしている家族や
周囲にいる友人知人を
言い訳にしてしまうのである

毎日の積み重ねは
決して目に見えるものではないし
ルーチンとして
同じことを繰り返すことは
決して簡単ではない

時にはサボることがあっても
それはそれで
仕方ないこともある

だけれども

基本的に言い訳は
自分が納得するために存在するものに
変わりはない

そして時間だけは
決して戻らないものであることを
オジサンたちは
身をもって教えてくれたのである

家族のために食事を作ること
新しい命のお世話をすること
仕事で失敗をすること
毎日会社に行くこと
犬を散歩に連れて行くこと

全ての行動の中に
変わろう、成長しようとする気持ちがあれば
人は変わっていくものである

オジサンたちは
そのことを忘れていただけなのだ

だから私は
それを忘れないで生きて行きたいし
そのための
誰かの伴走者でありたいと
思うようになったのである

La Carrière -Mariko