女性活用プロジェクトが教えてくれたこと-1

社会人になって

最初の1年は
いつ会社を辞めようかという
想いしかなった

就職氷河期に
わざわざ
自分で選んで
入った会社にも関わらず
いつ辞めようかと考えているなんて
馬鹿げているかもしれないが

私もそう思っていた若者の一人であった

最近は第二新卒などという言葉ができ
世の中もそういう価値観を
認めてくれるようになったと、思う

私が最初に働き始めた事務所は
東京の住宅街の中にあった

そこには日本の地方から
転勤を余儀なくさせられながらも
単身赴任を続けながら
働いている
“オジサン”の姿がたくさんあった

また
大学を出た女性の総合職の人など
数えるほどしかおらず

そういう女性たちと
働いた経験もない“オジサン”たちは
私の扱いも
よくわかっていなかったのである

昔からテレビドラマなどで
女性が制服を着て
お茶くみやコピー取りをするシーンが
流れていたと思う

そして、世の中は
本当にドラマの通りであった

女性たちが率先して
コピーを取ったり
Faxを送りだしたり
コーヒーを淹れたりする姿を見て
時代は進化しないのだろうかと
わが目を疑った

学生時代に
パソコンやインターネットを駆使している世代の私と
そんな機械、触ったこともない、という
“オジサン”の世代

そんな人たちが一緒になって
仕事をする事務所は
意外と活気に満ちていたが
ある意味、混沌ともしていた

会社に入社した当初は一般職で
その後会社が転勤をOfferしたからと
付いてきた地方出身の
先輩女性社員たちもいた

彼女たちはある意味
時代の犠牲者なのかもしれない

女性はいわゆる事務作業をしていれば良いと
言われて入った会社

ところが
ある時から突然
男女雇用機会均等法だとか
そういう法律や世の中の流れに
巻き込まれてしまい
これまでしてこなかった
働き方を求められてしまうわけである

とはいっても
人間はある日突然
変われるものでもない

日々の努力や積み重ねでしか
変わらないことは
一目瞭然である

変わることを求められながら
実際に変わる苦しみを
味わいながら生きている女性たちと
“オジサン”たちに囲まれながら
私の社会人人生が始まった

でもそれは
学生時代に
予想していたものとは大きく違い

仕事に意味を感じない
空しい毎日であった

だからこそ
社会人になってから
音楽活動に
さらに精を出すようになったのかもしれないが

本当に働くことが
世の中のため、人のために役立っているとは
到底思えるような
仕事ではなかった

男性社会の中で
認めてもらうためには
いわゆる’女性’であっては
難しかったのかもしれない

でも私は
既にスカートというものを
中学生1年生の頃から
十何年も身に付けて来なかったこともあり

女性の性の強さよりも
男性の性のが勝っている人であった

そんな時であった
多数の取引先で
一般職女子として採用されている女性たちに
活躍の場を考えるという
宿題を与えられたのである

皮肉なものだなと思う

取引先相手に
そんなことをして
意味があるのかという
疑問もあったが

とにかく
プロジェクトに
匙は投げられたのである

昔から
女性の友達よりも
男性の友達の方が多く
バンド仲間も皆、男性であった

女性の友達は
気の知れた数名はいたものの

群れることが
得意ではなく
女子高生のおしゃべりとか
女性に囲まれる習慣が
ほとんどなかった

そして
それが
私にとって自然であった

だから何の疑問も、苦痛も
感じてこなかった

今私が生きている今の時代
男女でこれほどまでに
世の中の仕事が分断されているという
現実を目の前にして

とても悲しく、空しく
私はこんなところで
埋もれていても
仕方がないと
思い続ける日々であった

女性に活用の場を作る

その言葉も、私には
ある意味差別的に聞こえていた

わざわざ意図的に作らなければ
活躍できない人たちを
何のために活かすのか

そんな風な疑問を持ちながら
私はその仕事に挑んだ

La Carrière -Mariko