私の中の女性と、私との距離

ハイヒールとワンピースの私を見て
やっと自分が誰なのか
どういう人なのかを理解したのね

私に言葉をかけてくれるのではないかと
思う人がいる

それは
私が師事していた
ボイストレーナーの女性である

音楽とキャリアの記事で
少し触れたが

彼女は私が音楽活動をしている時に
歌う時は“女性シンガー”であるべきだと
私に無理難題を与えてきた
ある意味とても厳しいトレーナーである

それはもう
10年以上前の話になるが

彼女が私に宿題として課してきたことを思い返すと

ハイヒールを通じて取り組んでいることと
本質が同じのように
感じるのである

例えば
私の声は絶対的に低いこともあり
男性の曲を好んで歌っていたのだが
まずそれを改めなさいと
言われたこと

そして洋楽ばかりを好んでいたが
日本語の歌にも取り組みなさいと
言われたこと

高音域が出ないと難しい
宇多田ヒカルの音楽や
独自の世界を持つCoccoなどの曲を
課題曲として歌いなさいと
言われたこと

また、歌のレベル向上のために
ビデオで歌っている姿を撮影する機会があったのだが
その際に衣装も考えなければならなかった

ドラマーであったこともあり
私はジーンズにシャツ、と言う姿が好きで
いつもそういう“ロック”な姿で
音楽と向き合ってきたのだが

その時ばかりはスカートを履きなさいと
命令されたことも覚えている

Marikoは原田知世を目指すべきだ
そんなことを私に言って
女性らしらについて
考えて来いと宿題を出されたこともあった

約3カ月をかけて
1つの楽曲を歌い込み
自分のものにしていく作業を
繰り返す日々であったが

その時は
ただ、スカートを履いて歌う
そのことが
恥ずかしかった

そして恥ずかしく
自分を表現できているのかどうかも
あまり分かっておらず

どちらかというと
ドラムを叩くことに
逃げていたような気がする

今の私だから分かるのかもしれないが

多分その間

私に求められていたものは
女性であることを認めた上で

自分を
自分の思いを表現する

ということなのではないかと思うのだ

そしてそのことに気が付いた今
10年経っても
実は成長していない私の姿に
少しげんなりしてしまう

唯一違うのは
ハイヒールで歩くことに
恥ずかしさがないことである

自分の歩みが
美しいと感じられるようになった

それは
本当にたった1歩かもしれない
レッスン1時間のうちの
数歩かもしれない

だとしても
自分を肯定できることは
本当に幸せなことだと思う

歩くことで自分を表現するなど
他人が聞いたら
失笑するかもしれない

でも
歩くことで
ハイヒールという道具を使って
自己表現していくことは
とても楽しいことなのだと
気が付いたのだ

日本に帰ったら
ハイヒールとワンピースで
彼女に会いに行こう

私は私の中の女性と
少しだけ
距離を縮められたことを
報告できたらと思う

La Carrière -Mariko