新しい旅路へ

今日ようやく
皆さまの前で
一つのお知らせをすることが
できることになった

それは
7月から日本へ帰ることが
決まったということである

正直なところ
悔しさと苦しみの気持ちと
少し安心したという想いで
複雑である

というのも

何を理由に帰るのかというと
告白でもつづった
不妊治療を
きちんと日本で受けたいと思ったことが
理由だからである

本来であれば
私の任期はあと1年というところであった

でもその任期を
前に倒して
帰国させてほしいと
自分から手を挙げたのである

苦しかった

その決断に至るまで
本当に悩んだ

そして
神さまでも宇宙でも
誰でも彼もに
祈る日々だった

3月末で会社の中の大きな動きがあり
私を慕って
こちらの町に
転勤してくれたスタッフたちがいる

同様に
希望退職を募集した際に
手を挙げずに残ったスタッフたちがいる

自分で採用したスタッフ
怒られてばかりだったが
自立してきたスタッフ

それぞれの人たちのことを考えると
胸が痛く
ただ、辛かった

あと一年
彼らの成長のために
私ができたことも
絶対にある

でも
私は自分の年齢と
置かれている現状を
理解した

日本で検査を受けると
血液検査の結果も
1時間で出てくる

メキシコでは下手をすると
一か月
早くとも翌日という有様である

その結果を見ながら
私は自分に残された時間が
本当に少ししかないと知るのである

残酷だと思った

可能性が低い中
敢えて会社の中で歩んできた
キャリアの道に
いったん白旗を揚げ
不妊治療をするべきか

それともどうせ可能性が低いのだから
あと一年残って
最後まで責任を全うするのか

答えは、出なかった

そんな中、決め手となったことは
仕事の代わりは誰かにお願いできても
遺伝子を残す代わりは
どこにもいないのだという
事実を
改めて考えたことであった

私は母になりたい

その事実にもう背を向けるのはやめよう

そう思って
決意を上司に伝えた

その日

もう後戻りはできないという
恐怖にも似た後悔のような感情が
私の中を埋め尽くしたことを
覚えている

自分で決めたことなのに
それでも
決めきれないことが
人生にはあるのだと
見えない涙を心の中で
流し続けた一日であった

それから約半年

会社の中では
意外と不妊治療に理解を示してくれる上司が多く
それには嬉しい驚きであった

会社には言わない方が良いという定説であったが
言わなければ帰れなかった

だから私は堂々と
不妊治療のために帰りたいと
言わざるを得なかったのだが
結果としては
それがポジティブに働いた

多くの役員や上司の方から
仕方ないとは言え
帰国の希望を叶えてもらうに
至ったのである

実は帰る部署が決まらず
多くの方が色々と考えてくれたことも
密かに聞いていた

COVIDの影響もあり
もしこのまま帰国が長引いたら
それはそれで運命なんだろうと
心のどこかで思っていた

そして
そうなったとしても後悔はしない
メキシコに残る人生もまた
素晴らしいものに違いないと
思っていた

正直
異動が決まったことを聞いた時
悔しさと不甲斐なさで
涙が止まらなかった

仕事を愛し
仕事と共に生きてきた私の
人生最大の決断

それは苦しみながら決めたとは言え
どこかで
どうしてこうなってしまったのだろうかという
後悔があるものでもあった

私の苦渋を理解してくれる
一人の役員の方が
贈ってくれた言葉がある

強い女性管理職になれ

強いとはどういう意味なのか
その答えは
自分で見つけなければならない

でもきっと
強さの一つは
こうした決めきれない事情がある時も
それを乗り越えていくための
精神的な強さのことなのだと思う

新しい旅路に出るために
今日からまた
準備に入っていく

悔しさと涙は
明日の糧に
新しい私を
出迎えよう

La Carrière -Mariko