人生は
いくつになっても
変えていける
そう思っていたことが
真実だと
体感した出来事がある
仕事で
女性活用プロジェクトなるものに
取り組み
試行錯誤の結果
成功を収めた私に
新たなプロジェクトが降ってきたのだ
それは
′オジサン′活用のプロジェクトであった
この話を聞いた時に
女性活用よりも
さらに面倒くさい仕事だなと
正直、思った
女性というのは
自分と共通項が少なくとも一つはある
それは性別である
しかしオジサンたちと
私には何の共通点もない
オジサンたちは
定年まで10年を切った人たちで
パソコンを使いこなせないが
機械を相手にする技術であったり
営業能力であったり
何かを加工する能力などを持ちながらも
その力を活かせていない
人たちのことである
何とも難しい話である
私と共通するのは
ただ
同じ会社で
偶然同じ部門にいるということである
オジサンたちは
これまで培ってきた
技術や能力を
発揮できずにいた
彼らの威厳を保つため
厳密には
‘オジサン’活用プロジェクトなどと
大きな声では言えなかった
私の当時の仕事の一つが
製品に込められた
高度な技術や
その技術がもたらす恩恵を
伝えるか
という仕事があった
ここに
オジサンたちを活用できないかと
考えたのである
どんなに高度な技術や
便利な技術が搭載された製品でも
製品の使い方や
良さ、悪さなどを
きちんと伝える人がいなければ
商品はうまく売れていかない
私は技術を市民の言葉に訳し
伝えるという
いわば翻訳者の役割を担っていた
翻訳した本も
読者がいなければ
ただの持ち腐れになってしまう
それでオジサンたちに
この翻訳した本の伝道者に
なってもらおうと考えたのである
彼らには長年の経験がある
それが技術に長けている人
物を売ることに長けている人
人それぞれであるが
彼らが伝道師となって行けば
製品が売れるきっかけや
なぜこの技術が
難しいと言われているのか
高度と言われているのか
伝えられるのではないかと
思ったからである
オジサンたちに
その仕事をお願いするという話が
彼らの上司から
伝えられた時
オジサンたちの心境は
複雑だったと思う
今更俺たちに仕事をさせる気か
などと思っている人もいれば
おお、楽しそうじゃないかと
考える人もいた
反応もまちまちであった
正直
オジサンたちは
何を考えているのか
良く分からなかった
ただ
生活の手段のための仕事
そう割り切っている人が
たくさんいたことだけは
理解できた
仕事を通じて
自分の能力を伸ばす
活用する
変わっていく
そういう視点が
オジサンたちの中には
ほとんどなかったのである
それを目の当たりにして
私は少しだけ
悲しいと思った
私が企業で働くことを選んだきっかけは
大学を出たあと
教員試験を受けて
先生になった先輩たちに会い
なんとこの人たちは
世間知らずなのだろうと
思ったことに起因する
ましてや
社会科という学問を教える立場で
‘社会’に一度も出たことがない人しか、いない
これではこれからの時代を
生き抜く力を
子どもたちに与えられないと思ったからである
そして
実際の世の中は
そういう子どもたちの
お父さん方でさえもが
生き抜くための力を
身に付けることを
放棄しているのだという事実を
目の当たりにした
果たしてオジサンたちは
変われるのだろうか
むしろ
与えられた仕事すら
完遂されないのではないかと
内心ひやひやしていたのも事実である
La Carrière -Mariko